【簡単5分】大正時代の結婚式「祝言」に学ぶ|和装婚礼の伝統と魅力
日本で今のような「結婚式」の形が広まったのは、明治~大正時代のことです。意外にも最近のことだと感じられる方も多いのではないでしょうか。
それ以前の婚礼は主に「祝言」と呼ばれ、家で行われることがほとんどでした。儀式としては、現在で言うところの人前式のように、列席した家族や親戚に誓いをたてるものでした。儀礼を済ませた後は夜通し宴会が行われたり、都合3日間に及んだりすることもあったそうです。
それがどのようにして現代の結婚式で見られるような形式へと変遷したのか、今回はそうした視点から大正時代の結婚式に着目していきたいと思います。神前式や婚礼衣装の変化にも触れていきますので、今まさに和装での結婚式をお考えの方もぜひご覧ください。
「大正時代の結婚式の社会的背景は?」
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「大正時代の結婚式はどのように行われた?」
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夏目漱石の小説に見る|大正時代の結婚式
当時の日比谷大神宮で行われていた式の様子は、夏目漱石の小説「行人」(大正元年発表)の中に記述があります。主人公は「結婚式」に列席するように言われたと記述があり、「結婚式」という言葉自体も、あわせて定着していることが伺えます。
縁女と仲人の奥さんが先、それから婿と仲人の夫、その次へ親類の顔がつづくという順を、袴羽織の男が出てきて教えてくれたが
(中略)
反り橋を降りて奥にはいろうという入口のところで、花嫁は一面に張りつめられた鏡の前に坐って、黒塗りの盥の中で手を荒っていた。
(中略)
神殿の左右には別室があった。その右の方に兄が佐野さんを伴れてはいった。
(中略)
反り橋を降りて奥にはいろうという入口のところで、花嫁は一面に張りつめられた鏡の前に坐って、黒塗りの盥の中で手を荒っていた。
夏目 漱石. 行人 (角川文庫) 角川書店. Kindle 版
このように、大正時代に入るころにはすでに神前式の式次第や施設は整えられ、進行も事細かに定められていた様子をうかがうことができます。
この小説の中で結婚する花嫁は主人公の家の奉公人で、花婿や関係者も何か特権階級といった人々ではありません。大正天皇がご婚儀を行われてから10年ほどで、神社で「結婚式」を行うことが大衆にも浸透していたことが伝わってきます。
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「結婚式」のきっかけは、大正天皇!
結婚を祝う形が、婚礼の儀が自宅での祝言の形から、神社や仏閣などで誓いを立てる儀式へと変化していく大きなきっかけとなったのは、1900年(明治33年)に行われた大正天皇のご婚儀でした。当時皇太子だった大正天皇と後の貞明皇后は宮中賢所大前にてご婚儀を行いました。この様子は「貴顕結婚式之図」として浮世絵にも描かれています。
神前(神社)、あるいは仏前(寺社)で婚礼行事を行うことは明治時代より行われており、出雲大社や日蓮宗系団体などで記録が残っていますが、大正天皇のご婚儀が大衆に与えた影響は比較にならず大きなものでした。
翌1901年(同34年)には日比谷大神宮(現在の東京大神宮)にて、このご婚儀に基づいた様式の「神前結婚式」が行われ、やがて全国へと普及していきました。
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移動神前結婚式の展開 & ホテルウェディングの誕生
同じ頃、結納品の商いをしていた永島藤三郎により、永島式と呼ばれる「移動神前結婚式」が考案されました (明治41年)。内容は「結婚式概要」(大正7年版)として現在も国会図書館データベースに残されています。この中を見ると、婚禮式、婚儀などさまざまな言葉で語られていた儀式の名称が「結婚式」として統一されています。
この「永島式結婚式」は、神主や巫女などの人員や必要な道具を揃えて自宅やホテルなどへ出張して式を行うという独特なスタイルにより、都心に限らず幅広い層へと広がっていきました。
大正時代が進むころには、日比谷大神宮で挙式後に帝国ホテルで披露宴を行うことが上流階級の証とされるようになっていました。迎賓施設としても利用されていた帝国ホテルでは、20世紀建築界の巨匠フランク・ロイド・ライトに設計を依頼し、新館を建築します。
そんな新館がお披露目されたのは1923年(大正12年)関東大震災のまさに当日のことでしたが、ほぼ無傷の状態で耐え抜きました。
その後大震災で近隣の神社仏閣が被害にあったことから、帝国ホテルは館内に臨時の祭壇をつくりました。やがて美容室や写真室も備えるようになり、結婚式から披露宴まで一貫して行えるようになりました。これが現在のホテルウェディングのはじまりとされています。
その頃には全国にも西洋の技術を学んだ写真館の開業が増え、結婚の際に記念写真を撮影することが広まっていきました。
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大正時代の婚礼衣装とは?|現代に息吹くアンティーク着物
行事としての様式が変わっていく中、花嫁の婚礼衣装の主流は高く結い上げた髪と豪華絢爛な振袖や帯、といった伝統的な和装でした。
1924年(大正13年)に雑誌に発表された流行歌「花嫁人形」(作詞 詩人蕗谷 虹児)の中では、花嫁の象徴として「金襴緞子(きんらんどんす)の帯」「文金島田に髪結い」といった表現が使われています。
「金襴緞子の帯」は花嫁が身に着ける豪華絢爛な帯の代名詞と言ってもいいでしょう。金糸などの文様(金襴)、繻子織の重厚な文様(緞子)はともに、高級織物の代表格です。
そして「文金島田に結い上げた髪」は、江戸時代から続く未婚女性の代表的な髪型で、髷を高く結い上げることが特徴です。
流行歌に歌われているこの姿は、大正時代の花嫁たちの典型的な衣装であり、豪華で強い印象を残す少女たちの憧れの姿だったのでしょう。新しい時代や文化の気運が高まる中でも、「花嫁衣装」には変わらない伝統や格式を感じます。
大正時代から昭和初期頃につくられた着物はアンティークと呼ばれ、現在の着物レンタルでも高い人気を誇ります。令和の現在でも見る方の目を奪う個性的な魅力のある着物が多く見られます。
この時代の着物に特別な彩りと個性を与えたポイントは4つあります。
- 染料の変化
大正時代に入り、日本でも合成染料の技術が発展して、着物にも使われるようになりました。それまでは草木を中心とした自然の染料で色付けされていたのですが、合成染料により彩度の高い鮮やかな発色が可能になりました。
- おしゃれな刺繍半衿の流行
もともとは汚れ防止の意味もあった半衿。大正時代にはこの半襟にぜいたくな刺繍をすることが流行しました。婚礼衣装に限らず、日常使いでも色半衿や刺繍半衿はおしゃれのポイントとして使われるようになりました。「大正ロマン」の代表的な美人画家竹久夢二や高畠華宵の作品の中にも、色半衿をすてきに着こなす女性が登場しています。
- 欧風な流行の影響
明治から大正時代当時、ヨーロッパやアメリカでも新しい芸術運動が盛んに行われていました。影響を受けた日本の職人たちも伝統的な柄に加えて、これまでにないモチーフやデザインを取り入れるなど、個性的な作品を生みだしていきました。
- 生糸の品質向上
明治以降、日本の貿易を支えていた生糸の研究や品質改良が進み、当時その品質の高さは世界一とされていました。その生糸を選りすぐった最高級の正絹の持つ輝きが、着物の意匠や刺繍などの豪華さをさらに引き立たせました。
技術や品質の進化に従来の枠にとらわれない華やかな意匠が加わって、着物文化は大正時代から昭和初期にかけて、一つの頂点を迎えたのです。
一方、新郎は洋装での婚礼が増え始めます。
明治時代以降、欧米の列強と肩を並べる存在になるべく、1872年(明治5年)には「洋装 = 正装」が太政官布告として公布されました。これに伴い、皇室や政府要人、ついで上流階級の男性から洋装化が進み、軍服や警官など公的業務の制服も洋装となっていきます。
前章で引用した夏目漱石の小説でも「髭を生やしたり、洋服を着たり、シガーを銜えたりする」ことが、当時の一人前の紳士のふるまいとされています。
今も残されている当時の写真には、だんだんと軍服や儀礼服で立ち姿の男性と角隠しに打掛や振袖姿の女性が並んで写るものが多くなってきます。当時の男性にとって洋装の礼服姿は、ご自身の威厳を示すものだったのかもしれません。
アンティークきものレンタルゆめやでは、贅を尽くした最上級品の婚礼衣装を取り揃えています。着物文化が最も輝いた時代に作られたアンティーク婚礼衣装は、時を超えても色褪せない本物の花嫁姿に導いてくれます。ご家族で着物をお召しいただけるお得なセットプランもご用意し、こだわりの和の結婚式をお手伝いいたします。
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まとめ
大正時代は、わずか15年という短い期間でありながら、世相の変化や西洋文化の影響などが独特の文化をつくりあげ、「大正モダン」「大正ロマン」などと称される和洋折衷で新しいおしゃれが華開いた時代でした。
この時代に浸透した「結婚式」は、親族を集めて行う自宅や近隣での祝宴から、場所を借りて、客人を招いてお披露目を兼ねて行うセレモニーとしての色合いを強めていきます。また、ホテルウェディングや写真撮影、婚礼衣装のレンタルなど、結婚式やウェディング業界のさまざまなサービスがはじまった時代でもあります。
令和の現代、大正時代当時からは100年以上の年月がたちました。今につながる「結婚式」のスタイルはこの期間に育まれてきています。ゆめやのアンティーク着物の多くは、この時代から大切に保管されてきた一点物です。職人さんたちの心意気を感じる、豪華かつ繊細な手仕事と最高級の正絹の輝きはこの時代ならではと言えるでしょう。
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